『ゲームをカテゴライズすることについて』配信ダイジェスト
2026/04/12配信の「みにげむ」を掻い摘んだ、10分ほどで読めるダイジェストです。(2026/05/19に note より転載。)
【背景】大井が書籍「芸術をカテゴライズすることについて」を読んで、ゲームに絡めた話をしようとしている。
それは「ゲーム」の批評なのか?
▧大井いちひと(以下大): 最近、本を読みまして。「芸術をカテゴライズすることについて」という、銭清弘(せん・きよひろ)さんという方の本を読んだんです。なんか、「芸術」とか書いてあるからちょっと堅苦しそうに聞こえるかもしれませんが、要は「ものを批評するって、どういうことなの?」とか「批評するとき、カテゴリーとかジャンルが影響してくるよね。」、「じゃあ、その『ジャンル』って何?」みたいな話とかを書いてる本で、すごい読みやすかったです。「えー、なんかいろいろ御託を並べてるけど、こういう例外があるんじゃないのー?」とか思って読んでると、その次の章とかでもう「それはわかっています。」って感じで、ちゃんと一個一個潰されていくんです。
◎めがぬ(以下め): コロコロやん。手の上でコロコロ転がされてるやん。
▧大: この本自体は芸術全般、絵画とかクラシック音楽に限った話ではなくて、もっと広く、それこそゲームも恐らく含めるだろうし、最近の音楽とかも全部ひっくるめて「芸術」の話ではあったんですけど、最後の方で急に、ゲームに絡めた話題が展開するところもあったので、ゲームが好きな人が読むとそれはそれで面白いんじゃないかな、と思う本でもありました。――ま、言ってしまえば今回は「この本が面白かったです。」っていうだけなんですけれども。
▧大: 例えば、タイトルにある通り、芸術を批評するときにはカテゴライズするということが必要になる。「どういう観点で見るのが最も批評に適した観点か」という話のとき、「どういうカテゴリーとして見るか」というのが重要になると思うんですけど、この本では「その作品がどういうカテゴリー/ジャンルに属するのか」という話と「どういう観点で批評すべきか」ということは分けて考えましょうという話が出てきて、「あーなるほどな。」と。
◎め: ん?
▧大: 例えば……、ピアノの曲で『4分33秒』はご存知ですか?
◎め: 無音のやつ?
▧大: そう。あれは、ジャンルとしてはピアノの曲にカテゴライズされると思うんですけど、でもピアノの曲として考えたら駄作じゃないですか。だって何も鳴ってないから。でも、あれはあれなりのメッセージ性とか批評のし甲斐があると。
◎め: でも、ゲームはゲームとして批評しないと……。いまの話で言うと、例えばゲーム性が一切ない、ゲームする余地のないゲーム、芸術の面で見れば素晴らしい作品もありますけど――
▧大: 「これはゲームなのか?」展とかありますよね。
◎め: ――ゲームとしては評価できなくないですか?その作品が何を伝えたいのか、それがゲームに限らない場合であれば、そっちの批評もできるんでしょうけど、それはもはや「ゲーム」の批評ではなくないですか?
▧大: でも、「これってゲームから外れてるよね。」「なんか違うことしてるよね。」「なんか新しいことしてるよね。」って評価するためには、ゲームのことを知ってないとできない。だから、「こんなのはゲームじゃないから真面目な芸術家の方にお任せしといて――」ってしちゃうと、もったいないかなと思ったり。
◎め: うーん……。
シリアスゲームの評価の仕方
▧大: まぁ、それをどの程度飲み込めるのかっていうのは、ゲーマーといえどもゲーム以外のいろんな背景とかを問われるってことでもあると思う。
◎め: ゲーム自体の幅が広いというか、定義が曖昧だから――
▧大: 以前から話題には挙がりますよね。アートとゲームの話とか。
◎め: ――曖昧が故に、どっちつかずなところはあるんですけど、僕はゲームに対するゲーム以外の批評には別に興味なくて。
▧大: いわゆる「これ、ゲームとしては評価しづらいな……」みたいなものに対する戸惑いみたいなものはたしかにあると思って。最近よく言われるシリアスゲーム――ゲームの形式は用いているんだけれども内容としては教育とかドキュメンタリーみたいな、言ってしまえばプレイしても気持ちよくなることはない――みたいなものに対してどう接するか、みたいな。ゲームとしての楽しさというか、快楽みたいなものが全然無いと、「ちょっと取り付く島が無いな。」って思う気持ちはすごくよくわかるんですよ。ただ、それもゲームという媒体の範囲内でいろいろ挑戦していることだと思うから、そういうものがあるのは良いことだけど、「僕には評価できないな。」と思うときはよくある。
◎め: だから、ゲームとして面白くないんだったら、いくら社会風刺していようがそれ相応の評価になるし、そういう社会風刺とか教育が大事なんだっていう人から見て評価が高いのであれば、そういう人にとっての良い作品ってことなんじゃないですかね。
▧大: あとは、そういう人に解説というか、「ここはこう考えればいいんだよ。」みたいなガイドをしてもらえたら、もしかしたら僕も味わえるようになるかもな、とは思いますよね。それが無い状態で「こんな取り組みがあります。」とだけ言われても、ちょっと辛いかな。その辺は、割と丁寧目な誘導が欲しくなるなっていう気持ちはあります。でも難しいですよね。例えば、『This War of Mine』(11 bit studios, 2014. 以下『TWoM』)を遊んだ人が、どの程度シリアスゲームとして考えていたのか、みたいな。
▧大: もしかしたら、現実にあった出来事(ボスニア、サラエボ包囲)が背景にあるんだよってことを全く知らずに遊んでいる人もいるかもしれない。そのときに、あのゲームがどの程度良いゲームとして享受できるんだろうってのは気になるところではありますよね。僕は最初から知った状態で遊んだから――
◎め: 僕は本当に何も知らずにやりましたよ。普通に面白かったですけど。
▧大: あのゲーム、明確にいつ終わるか教えてくれないじゃないですか。いつがゲームクリアなのかわからない。
◎め: うーん、まぁゲーマー的な感じから、耐えるのが目的なんだろうなっていうのはわかるから。
▧大: その辺が、『TWoM』の塩梅の良さなのかー。
◎め: 別に、ゲームとしてめちゃくちゃ良くできてますからね。
面白いかどうかでよくない?
▧大: 実はいま話していた「ガイドしてもらいたい。」とか「見る人によって評価が変わる。」みたいな話題も、「芸術をカテゴライズすることについて」に出てくる内容で、意識的に話に混ぜていたんです。で、結論としてこの本は「批評とは鑑賞のガイドである。」と言っていて、「こう鑑賞したら良いと、私は思います。」というふうにガイドすることが批評の目的である、と。それは良し悪しを計るのとは違う。
◎め: バイヤーズガイドのみ、と。
▧大: いや、バイヤーズガイドでもないんですよ。
◎め: え、だって芸術作品の見方とかを教えてくれるんでしょ?それって、ゲームでプレイの仕方を教えてくれるのと一緒じゃないですか?
▧大: えっと――バイヤーズガイドは「買うか、買わないか。」のガイドですよね。
◎め: ゲームは買わないとできないけど、芸術は別に買わなくても鑑賞できるじゃないですか。
▧大: 実はその話もこの本に載ってて、「鑑賞」っていうのが日本語だとちらっと見ただけでも鑑賞と呼ばれてしまうけれども、ここで言う鑑賞っていうのは、もうちょっとこう、どう受け取るか、どう考えるかという意味も含んでいるらしくて。例えば、『TWoM』をただ「面白いからプレイしなよ。」って言うんじゃなくて、例えばゲームメカニクス的に、「眼の前のトマトをいま食べちゃうか、プランターで栽培するか、みたいな葛藤がゲームを面白くしてるんだよ。」みたいなガイドもあるだろうし、当然歴史的な背景について説明するのもあるだろうし――
◎め: それこそ良し悪しの話じゃないですか?「ここがこんなにこうであるから、こういう価値があるんだ。」っていうことじゃないですか。
▧大: えーと、批評って「こういう奥深さがあるから、このゲームは『良い』。」と主張している訳じゃなくて、「こういう観点でも見れると私は思います。」っていう表明なんですよ――というふうにこの本では書いてあったと思います。読んだ本の受け売りってのも難しいですね……。
◎め: ふーん。おもろいな。
▧大: なんか、そういう話がいろいろ載ってるんですよ。「そもそも芸術の『良い』とは何か?」みたいな。芸術の場合、『美しさ』とか『崇高さ』みたいな根本的な価値があるのかどうか、みたいな話もあって。少なくとも、批評はそういう『良さ』を判断する作業とも違うんじゃないか、という風に書かれていましたね。
◎め: あー、芸術は良し悪しで計れないから、そういうのになっちゃう訳だ。
▧大: 当然、それには色々な考え方があって、そういう『良い』芸術が存在するって考える人も居るらしいです。つまり、人間に快楽を与えるのが『良い』芸術であると。ただ、批評の意義ってそこではないよね、みたいな。ひとつは、何でもかんでもひとつの価値に帰着できるのか?っていう話と、もうひとつは、仮に唯一絶対の『良さ』があるにしては、人に依って評価がバラける問題をどう考えたら良いの?みたいな。だから、批評は観点に依って変わるものである、と。
◎め: でも、ゲームは「面白いかどうか」で良くないですか?
▧大: えっと……、ゲームも人に依って観点は変わるだろうし、面白いかどうかだけがゲームの価値じゃないと僕は思う。あるいは、「面白い」ってもうちょっと細分化できるんじゃないかな、っていう気はする。
◎め: うん。まぁ、それはそう。
▧大: この本では、いろんな観点があるということ、単純化できない曖昧さみたいなものを受け止めるのが大切なんじゃないかっていう締めくくり方をしていました。
点数で集計することについて
◎め: 今の話を聞くと、最終的に「いろんな価値観があります。」っていうので終わっちゃうと、なんか元も子もないというか。「うん、そりゃそうですよね。」としか言いようがないんですけど。僕は結構、点数とか付いてるのが好きだから。
▧大: はいはいはい、点数ね。僕がこの本を読んで一番思ったのが、やっぱり点数に集約するのはもはや批評でなくなってるんじゃないかな、というのは思いました。いろんな観点で評価できるはずのものを数字に――
◎め: いや、例えば一個の音楽がずば抜けて良かったとして、「この音楽が本当に素晴らしいから、このゲームは本当に良いゲームだ。」って言い出したら、元も子も無さ過ぎません?
▧大: まぁ……だから「元も子もなくて、現実はそうなんだ。」ってことになるのかな?どうなのかな?
◎め: 言語化する意味も何も無くなっちゃうじゃないですか。「そういう価値観もあるよね。」で終わってしまう。
▧大: いやいや、それでもどこに着目するかが人に依って違うからこそ――
◎め: ――人に依って違うとして、例えば、有名な著者が「こういう価値観があるんだよ。」「こういう見方があるんだよ。」って言うじゃないですか。それって、今度その人の知名度がランキングになってくる訳ですよ。だって、みんなが別々のことをブワーッと言って、その中で誰も注目されないなんてことはあり得ないから。「有名なこの人が言ってるから、この価値観がこの作品の一般的な見方なんだ。」ってなるじゃないですか、絶対。
▧大: いや、そこで大事なのは、まずそれを見た側はそれを唯一絶対の見方だって考えちゃダメで――
◎め: ――ダメなんですけどぉ……まぁ、そうなるじゃないですか。それって、結局点数付けと何ら変わらなくないですか?その有名な人が「こういうところが良い。」って言うことが、もう点数と同じ意味合いになるじゃないですか。
▧大: それは……どうしたらいいんだろう。話の過程をすっ飛ばして、「有名な人が良いって言ったから、良い。」って言われちゃうと、もうどうにもできないな。
◎め: だから、観点が違う中でも「面白いかどうか?」っていうひとつの物差しで、同じ土俵で戦ったほうが良くないですか?
▧大: 「戦うのやめようよ。」っていうのは――
◎め: それは無理ですよ。
▧大: 無理かなぁ……?そっかー。
配信本編
この話のつづき、配信本編はこちら。
出典
- 銭 清弘, "芸術をカテゴライズすることについて 批評とジャンルの哲学," 慶應義塾大学出版会, 2026. https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766430806/ (accessed Apr. 15, 2026).
- "John Cage: 4'33'' / Petrenko · Berliner Philharmoniker," YouTube, 2026. https://www.youtube.com/watch?v=AWVUp12XPpU (accessed Apr. 13, 2026).
- “これはゲームなのか?展3,” ars●bit, Jan. 27, 2026. https://www.arsobit.com/exhibition-20260127/ (accessed Apr. 13, 2026).
- “This War of Mine,” 11 bit studios, Feb. 15, 2021. https://11bitstudios.com/games/this-war-of-mine/ (accessed Apr. 13, 2026).
- “ゲームレビュー:それは批評なのか、バイヤーズガイドなのか、それとも何なのか?,” Dance to Death:死に舞 on the Line, May 09, 2025. https://shinimai.hatenablog.com/entry/2025/05/09/171413 (accessed Apr. 13, 2026).
- “Video Game Reviews, Articles, Trailers and more,” Metacritic, 2026. https://www.metacritic.com/game/ (accessed Apr. 13, 2026).
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